0歳児の絵本

まだ喃語すらたいしてしゃべらない、ママすら言わない0歳のうちのおちびさん。

驚いたことに絵本が大好き。じーっと見るし、お気に入りの絵本を出すと泣き止むくらい好き。まだしゃべったりはしないけれど、読んで欲しい時は本棚の前でなにやらあーだのうーだの唸っている(読んで欲しいのではないかと推測している。まぁ違うかもしれないけれど、読んであげるとご機嫌だ)

 

ということで、この辺りで、これまでの絵本遍歴をまとめておこうと思う。

もし0歳児の絵本で迷っている方がいたら、参考までに。

 

我が家は3ヶ月から色々と絵本を読んでみた。初めて読んだ時はきょとん、としていたけれど、数ヶ月おいて読んだら爆笑した絵本も多く、発達を感じられるのもまたいいなぁと思っている。

 

 

3ヶ月

買った本

反応のあった本

  • しましまぐるぐる

 絵本を目でじーっと追う。おさかなのページだけ、なにやら反応がちがうように見え、手をだしたりする。これから6ヶ月くらいまで、本人が読んで欲しそうにするので、正直もう嫌になるほど読んだ。

 

4ヶ月

 買った本

  •  もこ もこもこ
  • いないいないばあ遊び
  • ぶんぶんきいろ
  • あかあかくろくろ
  • じゃあじゃあびりびり
  • ごぶごぶごぼごぼ
  • ぴょーん

反応

  •  ちっちゃなおさかなちゃん

最初はしましまぐるぐるほど反応がなかったが、4ヶ月ごろからページによって反応がちがってくるように。うちの子が最初に反応したのはみどりの亀と紫のたこ。そのページだけ、にやぁっとするように。この先、反応のよいページが増え、一番のお気に入りは現在黄色いひとで。反応がとても良いので、買ってよかったとは思ったけれど、しましまぐるぐるなどと異なり、簡単なストーリーがある分、飽きてからの読み聞かせがやや辛い。夫はもう読まない。

ちっちゃなおさかなちゃんは、本が硬い紙で口に入れてもすぐダメにならない。さらに、本に光沢が少しあり、膝に子供を乗せて読んでいても、子供の表情が本に映り込むので、反応が見やすい。そういう意味でも最初の本におすすめできる。

 

  • しましまぐるぐる、ぶんぶんきいろ、あかあかくろくろ

同じシリーズ。どれもページによってにこにこしたりするように。やはりこの時期は一番楽しそう。

  • じゃあじゃあびりびり

そうじきとラッパの音がお気に入りのよう。

  • ぴょーん

最初からじーっと見ていた。4ヶ月の終わりごろから、目がちゃんとジャンプの動きを追うように。ながく楽しんでおり、コミュニケーションも取りやすい。読み方も工夫の仕方があり、親も飽きにくい絵本。

 

 だいたいの絵本はじーっとよく見るが、反応というような反応はなし。

 

5〜7ヶ月

ちっちゃなおさかなちゃんシリーズで大喜びするように。

シリーズを買い足した。

どれも好きそうだけれど、やはり最初の一冊が一番のお気入りのようだ。

 

  • わたしはとべる

メアリー・ブレア氏の絵本。ディズニーのシンデレラなど90年代くらいのアニメのキャラクターデザインなどを手がけた人。絵が可愛く、一箇所ドナルドダックが隠れている。親の趣味の絵本で、長いし難しいかと思ったが、文章が短いので試しに読んで見たら、絵が子供の感性にささるのか、意外なほど食いつきがよく、お気に入りに。

  • だるまさんが、だるまさんの、だるまさんと

本をばんばん叩いて、よく反応する。最初はだるまが並んでいるページの方が反応が良かったが、9ヶ月ごろからページをめくると笑うように。

  • きんぎょがにげた

たぶん、わけがわからなかったよう。指差しができるまで封印。

 

8ヶ月

  • ぽぱーぺぽぴぱっぷ

図書館で借りてきて、よんだとたんに声をだして笑う。絵本で声をたてて笑ったのは初めてで驚いた。

 それまで無反応だった、谷川俊太郎氏の「もこもこもこ」 も笑ってくれるようになった。

  • だっだぁ

喃語の種類が増えないのが気になって購入。これも初見で大爆笑。大人が声にだすと、そのたびに嬉しそうにする。真似をしてくれたり、ということにはならなかったが、声を出すコミュニケーションができるようになって、買ってよかったと思った一冊。

  • ごぶごぶごぼごぼ

これもだんだん反応が良くなった。こういう擬音というか変わった音の絵本が楽しいようだ。

  • のんたんシリーズ

絵が細かいというか、いろいろな動作がまだぴんとこないのか、反応がない。というより、読んでいる途中で飽きて膝から降りてしまう。

 

9ヶ月

「ぽぱーぺぽぴぱっぷ」や「もこもこもこ」があまりに反応がよいので、買い足し。「まり」は6ヶ月ごろに図書館で一度借りたが、その時は無反応だった。今回はよくわらう。少しぐずっても表紙を見ただけで喜んで機嫌が治る。

  • いないいないばぁ

これも、じーっと見るがこれまで反応がなかったが、ページをめくるたびににこっと笑って、時には声を出すように。ようやく理解してきたみたい。

 

  • ねむいねむいおはなし(ウリ ・シュルリッツ)

これは私が好きな絵本作家さん。難しいかと思ったが、楽しそうに聞いてくれるように。

 

10ヶ月

面白がってよむようになった。ちょうになったところでにっこーってなる。

谷川俊太郎さんの赤ちゃん絵本がお気に入りのようなので、もう一冊追加購入。これも初見でげらげら笑う。親はどう読んだらいいかわからないところがたくさんあるが、そのぶん、いろいろと工夫もできるので、読むのに飽きにくい、かもしれない。

  • まるさんかくぞう

8ヶ月の時に購入したが、反応が悪くおいておいたもの。今回は食い入るように見つめていた。形の概念もだいぶわかってきたようだ。

  • 14匹のねずみシリーズ

まだ難しかったようで、これは現時点では途中で飽きてしまうよう。もうしばらく先まで封印。

  • ねずみくんのちょっき

じーっと見ている。まだ反応がいいとも言えない。

 

 

 

10ヶ月までの中で、人にオススメしたいのは、低月齢ならしましまぐるぐるシリーズと、ちっちゃなおさかなちゃん。7ヶ月後半以降は谷川俊太郎氏の絵本だろうか。

あとは「だっだぁ」と「だるまさんが」のシリーズもおすすめだ。

ちっちゃなおさかなちゃんはシリーズ4作目まで買い足したが、簡単なストーリーがある分、そのストーリーに飽きてしまって、1日に何度もせがまれ、それが毎日だとだんだん読むのが辛くなる感じがある。大人は「???」という感じだが、谷川俊太郎氏の絵本のように、絵と音で楽しむ絵本は声音を変えたり、色々想像したりと、毎日同じ絵本を読むことになっても、比較的やり方があって、大人でも楽しいかなあと思う。

もう少し複雑なストーリーがある、14匹のねずみシリーズは難しいようで、最後まで集中力が持たないようだ。この辺りが読めるようになると、絵本の選択肢が大きく広がるので、楽しみにしている。

 

 

 

ヒトラーとは何か

ハフナー氏のもう一冊。

 

学校もまともに卒業できないアホで、美術学校の受験にも失敗し、画家にも何にもなれないまま無職でふらついていた馬鹿者、それが1918年のヒトラーだ。本書はそういうところから始まる。ちょっと目から鱗が落ちるヒトラーの本。

ナチスとの我が闘争を読んでも感じたけれど、まぁ毛虫のように嫌っているのが端々の表現から伝わってくる。それでも、評価すべきところは評価し、ヒトラーだからダメなのではなく、ヒトラーがやろうが、他の誰かがやろうが、いいものはいいし、ダメなものはダメというための本というのが面白い。

ハフナー氏の強みは、39年に一度亡命していることだろう。戦争が始まる直前まで、つまりヒトラーが600万人の失業者の全てに職をあてがい、奇跡的な経済復興を成し遂げていた、その時期をドイツ国内でみつめ、ユダヤ人への迫害などには目をつむりたくなってしまった人たちとの空気を味わって、その空気に確かにそれはそうなんだけどとうまく反論できない気持ちも味わい、やはりヒトラーはおかしいと逃げ出した。ヒトラーに魅力があったことを認めても、最終的にノーを言った自分のことは落とさないで済む。だから、ヒトラーが魅力的に見えたということが言えるのだ。

 

面白かったのは、ヒトラーは一代限りで思い描いた政策(?)を全てやろうとした、ということ。そして、国家を作らなかったということ。一代限りで、自分が死んだらあとのことはどうでもいい、自分が全てを決めるから、制度なんていらない。そういう、為政者のメンタルとはまったく違うメンタルを持っている人間だという説明はなんとなく腑に落ちた。

戦争は、講和を結んで終えるものだと言うことを理解していなかった、というのは確かにハッとさせられる。戦争は征服のためではなく、最終的に講和を結び、平和を手に入れるためのものだ、というのは、すこし綺麗に説明しすぎな気もするが、まぁ古今の多くの戦争は確かに、相手の絶滅を目指したものは少ないよなと思う。あの対戦中、フランスともポーランドとも、他のどこの国とも一時的な講和すら結ばずに突き進んでいたというのは驚きだ。

ヒトラーを理解はまったくできないし、この本を読んだら読んだで、本気でこんな思考をする人間がいるんだろうか、と思ってしまうけれど、なんというか読み物としてすごく面白かった。

 

もうひとつ。ニュルンベルグ裁判への批判は、日本人にも刺さるかもしれない。

戦争犯罪なんていう、曖昧な定義の罪を作って裁判をやってしまったから、戦争が、勝てば負けた側を勝った側の好きな理論で裁けるものになってしまった、としている。それまでは相手をそれなりに尊重し、講和を結ぶべきものだったのに、と。

まあ戦争の定義は置いておいて、確かに、平和に対する罪なんていう、主観でどうとでもなってしまう罪をつくって、勝った側が負けた側を裁いたという前例は、その後の世界の警察だのなんだの、ちょっとバランスの悪い国際社会の始まりになってしまったように思う。あの時、裁かれるべきは本当はなんだったのか、日本の戦犯に関しても、どの罪はヒトラーや日本に固有のもので、どの罪は多かれ少なかれどんな軍隊にもあり、どこまでが交戦権という国の権利の行使で、何が平和に対する罪なのか、真面目に考える人がいなかったのか。その辺りは、タブーにせずにもう一度考え直してもいいようにおもう。

ナチスとの我が闘争を読んで

ハフナーの初期の未完の作品を、死後遺族が発見してまとめたもの。

1939年に書かれたものだけれど、ナチスのいく末をかなり正確に見通しており、戦後に書いたもののよう。

第一次大戦から第二次大戦までのドイツ国内の雰囲気を感じ取れてとても面白かった。ドイツ人というより、プロイセン人を自認しているのか、なんというかバイエルンなど南部に対するちょっと冷たい雰囲気とか、プロイセン的なものへの自負とかを感じられ、クスクスと笑ってしまうようなことも。小国家たちがまとまったドイツの中で、アイデンティティーがまだドイツ人とまではいかない世代の最後の人たちだろう。尊敬する政治家はビスマルクとフリードリヒ大王、そういうプロイセン人的な感性の一端がみえるのが、ちょっと楽しい。

 第一次大戦後のドイツがどれほど混乱していたのか、国としての軸が不安定だったのかの一端に触れられる。そして、おそらくいまから言われているほどの熱狂的なものではなく、半数の人間は反対で、多くの人が半信半疑のまますすんでいく、なんとなく現代にも通じるひやっとした感覚や、洋の東西を問わず陥りがちなポピュリズムへの入り口が見えた。そういう、知識人たちはあり得ないと思っている人が当選し、なんとなく反対だが実績も出てしまって、見たいののはトランプ氏や、イギリスのEU脱退でも似たような流れが見える。(これがヒトラーの入り口とはまったく違うことは、ハフナー氏が述べている)

まぁとにかく、ヒトラーが大嫌いだというのがわかるのが、面白い。もうけちょけちょだ。本人が出版までこぎつけていないばかりではなく、章立てもまだはっきり決まっていない中での草稿なので、表現が過激だったり、意図している以上に主観的な表現もあるようだったが、読んで見て全く損はない。

 

一つ、翻訳は下手くそだとおもう。なんというか、英語でいう、意味がぼんやりしたitみたいな、日本語の指示語の使い方と違う部分を全部それ、と訳されていたりして、すごく読みにくい。あと、明らかにフリードリヒ二世のところを、フリードリヒ・ヴィルヘルム二世としてみたり、いくつかの誤訳もある。すらすらと読めない翻訳だったのが少し残念だった。

タコの心身問題を読んで

Twitterで見かけて、ちょっと興味が出てタコの心身問題を読んでみた。

 

本の中には宇宙人もかくやというような、多彩で柔軟なタコやイカのこれまでの歩みと、思考することや人生に関する哲学を海底のタコから始めることができるのか、という純粋な驚きがあった。

 

「進化はまったく違う経路で心を少なくとも二度、つくった。」

これがなかなかに刺激的。一章は特に読む価値がある。タコの観察から、生物の進化に思いを巡らせていく。一つの細胞だけで生きていた生き物が、細胞の塊になったら、何が必要になるのか。その機能をどのように果たしていくのか。はるか昔、気の遠くなるような昔に分岐したタコと私たちの歴史を辿りながら、脳とは何か、何かを感じるとはどういうことか、コミュニケーションって本質的にどんなもので複雑なコミュニケーションがなぜ発達するのか、そういったことを話題をあちこちと飛び、様々な色に複雑に輝くタコやイカに思いを巡らせながら考えていく。

タコやイカ学術書より、やはり哲学書の面白いところで想像力をはためかせるところが随所にあって面白い。遠い、これから何千年か先にタコがまた進化していきそうな片鱗のさらにかけらのようなものが示されているのも、なんだか夢があって面白い。

 

個人的に、あぁなるほどと思ったことの一つに、食べ物じゃないと理解した上でそのものへの興味を持続させ、それで遊ぶ、と言うことが「賢い」ことの一つの例として出てきたことだ。社会性やほかにも人間が様々な知的なことを達成していくために必要なことだ。ほかの動物では見ないと聞いてなるほど、と。さらに、我が家の0歳児を見て、ひたすらに遊んで、遊びながら気がつくと前日とは違う遊び方を見出しているのをみて、さらになるほどなぁ、と感じてしまった。

 

寿命と生殖・生存率や寿命と脳の大きさ(賢さ)の関係など、今までなんとなくそう決まっているものと、とくになぜ?と思わずにきたことが、こういう理由・思考実験をすると説明がつくというのも楽しかった。

 

1冊読みながら、あちこちで目からウロコがぼろぼろ落ちた。そういう本。

訳もとても読みやすくて、良かったです。夏目大さん。専門用語から話題もあちこちに飛んで大変そうだなぁと思ったけれど、違和感のない日本語に訳してくれていて、ストレスなく読めました。

おっぱいの呪いってすごい!!

 もうこの気持ちだけは書き残しておきたい。

 私、母乳かミルクかとかそういうのどっちでもいいじゃんって思ってたし、自分の母乳が出ても出なくてもどうでもいいと思っていたし、今でもミルクで育とうが母乳で育とうがどっちでもいいと思っているのに、なのに、結局母乳育児を軌道に乗せるのにものすっごく苦労して、なんというか、あちこちいろんな人に言われた一言一言がけっこうぐっさりと残っている。この母乳、おっぱいに関する呪いってなんなの!って真剣に叫びたい。

 あともう一つ。

 おっぱいから乳を飲むなんていう哺乳類として生まれた以上当たり前のことがめちゃくちゃ下手くそな赤子が実在するぞって、もっと早く教えておいて欲しかった。

 いるよ、赤ちゃんはなにはなくともおっぱいを飲むんじゃないよ。おっぱい飲むのがド下手な赤ちゃんって実在するからね!

 

 子供は2500グラム程度でちょっと小さめに生まれて、新生児のときは、もうとにかくよく寝る子だった。

 哺乳瓶を吸わせても3回ほど口をくちゅくちゅ動かしたら寝ちゃう。かるく頬をつついたり抱き上げたり、いろいろ動かして起こして、また哺乳瓶吸わせてもすぐ寝ちゃう。出産翌日からの授乳訓練って、子供をどう起こすかの訓練だと真剣に思った。

 ただ、産院を退院するころになると、あれ?ちょっとおかしいぞ、って思うようになった。まわりの子たちは、ぐびぐびと哺乳瓶からミルクを飲み干し、親のおっぱいもぐびぐび飲んでいる。対して私は、子供がおっぱいに吸い付いても、3口ぐらいで寝てしまうのに、必死で呼びかけている。授乳室に入れ替わり立ち替わりくるお母さんたちが、授乳を終えて行ってしまうのをみつつ、おっぱいも吸わないが、哺乳瓶もなかなかすすまない子に必死でもうちょっとだよ、あとちょっとだから起きててね、と呼びかける。がんばれがんばれって。

 まぁ、おかしいぞってほどじゃないけど、なんか思ってたのと違うな、って思った。

 

 うちの子は、いや、もう、本当によく寝た。

 赤ちゃんって寝ないものだと思っていた。寝ない子の話はよく聞いた。構えてもいた。1時間もまとまって寝ないとかザラだって。がんばるぞって思ってた。うちの子もベッドに置くと起きちゃうっていうのはずっとそうだったけど、抱き上げたら1分で寝てた。のび太君かってくらい寝てた。そして、寝たら起きなかった。授乳は泣いたらでいいよ、でも4時間は空けないように、って産院で指導されてた。でも、起きて泣いたことなんかほとんどなくて、いつも4時間のアラームで私が起きて、よく寝てるのに起こすのかわいそうだな、って思いながら起こして授乳してた。

 

 まぁ、眠りがちなのはいいんだけど、とにかく授乳の5分間さえ起きてない。

 しかも吸うのがド下手くそで、60CCとかを哺乳瓶から飲むのに20分じゃ終わらない。本当に下手!ちゅうちゅういくら吸っても哺乳瓶の中のミルクが減っていかないのを眺めながら、あまりにも変化がなくて寝ちゃうくらい下手だった。

 お前、野生に生まれなくてよかったね、って本気で思った。もし動物で一度に何匹も一緒に生まれるような子たちの一匹になってたら、きっと飢えて死んでる子だったよ。現代の人間の子に生まれてよかったね、って本気で思った。すーって哺乳瓶くわえたまま寝ちゃう顔見ながら、君の生存本能はいずこに?って思ってた。輪廻転生があるんだとすれば、うちの子たぶん哺乳類に生まれたの初めてなんだと思う。

 

 まぁそういう状況だったので、直母で飲むなんて夢のまた夢。搾乳で絞ったやつを毎回あげてました。まいかい、おっぱいを吸わせる。ちゅうちゅうするが、体重を測ると2gとか3gしか増えてない。マジで1ヶ月くらい一桁しか増えなかった。絞っておいた搾乳かミルクに切り替えて20〜25分ぐらいかけて所定量をなんとか飲む。次に向けて搾乳するっていうのを、結局2ヶ月続けることになりました。

 

 本当は母乳諦めたかった。だって、授乳した後の搾乳って本当にしんどい。子供は置くと起きて泣くことが多い。抱っこしたまま一緒に寝れれば睡眠時間も取れるけど、搾乳して、それを冷蔵庫にしまってって作業、結構面倒臭い。免疫が移るとかいう初乳はなんとかあげたし、もういいかなって本当は思った。

 搾乳器っていう洗い物も増える。搾乳機なんかいくつも買えないから、結構こまめに洗わないといけない。哺乳瓶なら3回分くらいまとめて洗ってもいいけど、搾乳機だとそうはいかない。もう面倒臭い。しかも、搾乳するたびに、なんで直接飲んでくれないかなぁ、とかもう諦めて毎回ミルクにしたら楽なのにって思いながらやるのがまたしんどい。赤ちゃん、母乳、飲まないとかで毎晩検索してるのしんどかった。

 

 それでも結局2ヶ月かけて母乳育児にしたのは、なんかもう、選べなかったのだ。

 

 一番の理由は母だ。里帰り出産をしており、子供の世話以外は全てやってもらっていた母の言葉は色々と効いた。別に、責められたりとか、何か色々と言われたわけではない。

 「いいおっぱいが出るように、栄養色々考えて作るからね」

 この言葉をほぼ毎日のように言っていただけだ。バリエーションは色々あった。

 「おっぱい美味しかった?おばあちゃんがママにいいもの食べさせてるからね」

 とかそういう感じで。ただ、なんというか、母乳で育てるのがあたりまえっていう圧を感じた。圧というのも変だ。ただあたりまえだった。母の中にほかの選択肢がなかった。他の選択肢を私が考えている可能性もなかった。ミルクは母乳の補助。母乳が少なければミルクを足す。でも母乳をゼロにすることはあり得ない。そういうのが絶対的な前提にあった。

 調子はどうか、ちゃんと出ているかと、しょっちゅう聞かれた。一緒に住んでいるわけだし、子供の状態を把握するための情報共有の一環なのはわかるが、わかるだけにしんどい。直母を飲まないことについても、実は飲んでるんじゃないか、搾乳ができるならおっぱいを吸えないってことはないんじゃないかって、いらないと言っていたグラム単位で測れる体重計を買ったのも母。毎日、今日はどのくらい飲んだの?って聞かれるから、毎日測った。結局、これってストレスだなって思って測るのをやめた。軌道にのる2週間くらい前に。

 

 もう一つ、母乳をやめなかった理由の一つが乳腺炎だ。

 なかなか授乳がうまくいかなくて、産院の授乳指導に通っていたが、助産師さんが、母乳の出は十分だと思うと言っていた通り、母乳は一応出ていた。むしろ、子供が飲まないので胸は張りっぱなしですごく痛かった。子供が新生児の頃、胸は常に張って痛んでいて、搾乳するとスッキリするというのはあった。搾乳が面倒でも私にもこういうメリットがあったから続いたというのはある。やめるぞってなると、この胸が爆発しそうなこの感じにしばらく耐えないといけないのか、と思うと搾乳をやめる勇気がなかった。

 陣痛・出産と痛いことが続いて、ついで胸が張ってむちゃくちゃ痛んで、もう痛いのは十分です、もうやめて〜!!って気分。これ以上痛いのは勘弁って感じだった。面倒だけし、だるいけど、痛くはない。むしろ、搾乳すると痛いのがなくなる。そう思うとミルクにする決心がつかなかった。

 

 そんなこんなで搾乳に、眠さが限界だった時だけミルクにして、1ヶ月色々やって見たが、1ヶ月検診で、体重の増加が少ないと不合格に。

 10日後、個別の検査の予約が取れず、母乳教室で体重を計ることになった。

 その時、退院して1週間くらいのお母さんたちと一緒になった。直母で片方だけで60グラムとか体重が増えているのを聞きながら、ほら、起きて起きて、頑張ってっていつもながらの掛け声をかけながら必死で飲ませて、両乳で35グラム。新記録!ってところだけど、なんかもう泣きたくなった。いや別に直接母乳で飲めないからなんだって感じだし、体重はその時はちゃんとクリアしたから、全然なんの問題もないはずなんだけど、なんかもう泣きたくなった。誰かに何か言われたわけでもない。助産師さんは体重を測って、あら少し飲めるようになったわね、と言っただけ。私が勝手に、同じ教室のお母さんたちの結果を聞いてしまっただけ。それなのに、なんかもうすごく悲しくなってしまった。

 

 まだ8ヶ月の育児の中で、一番なんともいえない気分になった。いつも通りすかーって平和な顔をして、おっぱいくわえながら完全に寝落ちした子供の頬をつねりたくなった。(ちなみに、その時よほど眠かったのか、体重計に乗せても起きなかった)

 

 でも、なんだかその時にもうどうでもいいやって思って、その後から授乳後に体重計るのとか全部やめて、朝の体重増加のチェックだけに切り替えて、そのほか、色々言われて、細かく守っていた授乳時間とか、授乳間隔とかをいーかげんにした。体重だけ増えてればもうどうでもいいやって。

 そしたら、それから2週間くらいで直接母乳で100グラム以上飲むようになった。まぁ、成長のそういうタイミングだったのかもしれない。2ヶ月のタイミングで搾乳をやめて母乳とミルクにして、結局は生後3ヶ月くらいで完全母乳に切り替わった。

 こんなに苦労するなら、本当にミルクで育てたかったって最中はずっと思ってたし、今母乳で楽だなって思うこともあるけどやっぱり、もう最初からミルクにできてればあの時のなんかすごい惨めな気持ち、味わわなくてすんだのになって思ってる。

 

 だって母乳育児ってなんか、声を大にして泣きわめくほどじゃないけど、ちくんって刺されて、喉に刺さった小骨みたいに、事あるごとに違和感というか小さな痛みを感じる機会がすっごく、すっごくすっごく多いと思う。

 

 たとえばさ、母乳にしてると、ちょっと体重の増加が少ないと、母乳の量が少ないんじゃないか、体重が大きく増えたり、吐き戻しが多かったりすると、母乳あげすぎなんじゃない?ってすごーく気軽に夫や両親から言われる。うるさいわ!知るか。飲みたいだけ飲んでんだ、どんだけ飲んだかなんて私だってしらんわ。どんだけ飲んでるのか、それで足りてるのか足りてないのか、わからんから不安なのはこっちも一緒だ。むしろ責任があると思ってる分だけ真剣に考えて色々やってんの。今日はいい天気だね、くらいのノリで話してんのわかるけど、結構センシティブなの。それ全部、私が悪いって聞こえてるの。そんなつもりがないことはわかってるけどね!

 

 あと、なんていうのかな。おっぱいの話ってそんなおおっぴらにする?助産師さんには普通の範囲って言われたけど、母は事あるごとに親族・他人に関係なく、「おっぱいをうまく飲めなくて。この子(私)乳首が大きいし、孫は小さく生まれて口が小さいから、うまく飲めないのよ」って言ってた。人の胸の事情なんか、そうぽろぽろ話すか?これ乳がでる蛇口じゃなくて、私の胸何ですけど?この蛇口ちょっと飲みにくいわねみたいなテンションで人と話す?どういう感覚なの、それ?

 それ横で聞いてても、なんていうかハハっていう乾いた笑いしか出てこないよね。なんか妙に傷ついた。傷つくのおかしいんじゃないかって思うくらい、普通に話してるし、聞いてる方も普通に聞いてるし、どうなん?

 

 これは私の個人的な事情だと思うけど、子供が飲むのがあまりにも下手なので、今でも授乳しながら、軽く搾乳というか、自分の手で絞り出してあげてる。ぎゅーって押さないと、くわえさせててもなかなか乳が出て言ってない感じがある。指でおっぱいしごいて、子供が吸うのを補助してる感じ。

 うちの母いわく、私はよく飲む子でぐびぐび飲んだらしい。だからそんなことしようと思ったこともなかったみたいだ。

 子供が吐き戻すたびに、あんなフォアグラみたいに無理に飲ませてるからよっていう。夫も、ぎゅーって絞ってまで飲ませるからじゃない?って。試しに絞らないでやってみたら、5ヶ月の200以上飲んでる時で、半分くらいしか自力で飲めてなかった。ほーらって思ったけど、そこで勝ち誇っても仕方がないから、黙々と今でもぎゅーって補助してる。

 いいですいいです、乳腺炎が怖くてぎゅーぎゅー無理に子供の口に押し込んでるって言ってくれても全然構わないけどね、おっぱいから飲むのがマジで下手な子ってのが存在するなんて信じられないならもう、その常識のまま生きていって構わないけどね、人が一生懸命やってることを笑い話にしないでくれないかな。授乳って赤ちゃん育てる上で一番基礎だからさ、ふざけてやってる母親なんかどこにもいないと思うんだよね。みんな一生懸命。ちょっと普通と違って見えても、その親子にとって一番最適になるように考えてやってると思うんだよ。それ変だよとか外野が気軽に言わないでほしい。

 母とか義母とか見てると、なんの不自由もない子育てだったのか、もうそういうちょっとあれこれ言われても傷ついたそんなことは忘れたのか、なんなんだろうと思う。まぁたぶん忘れたんだろう。

 忘れちゃうくらい、母乳で悩みながら育てるのって当然なんだろうね。もう当然すぎて、もしかしたら悩んでたのも当然の中に入って、子供に母乳をあげた綺麗な思い出の中に一緒にラッピングされてるのかも。

 

 母は普段そこまで無神経な人ではないし、子供の心を大事に育ててくれたし、今でも仲がいい。だから、このことで喧嘩もしてないし、そもそもなんの悪気もない。里帰りしてきて、大学入学で家を出てから年に1〜2日くらいしか帰らなかった娘が何ヶ月もいることに舞い上がって、一緒に孫を育てている気持ちになった初孫フィーバーに沸くよくあるおばあちゃんだ。初孫フィーバーの中には、やっぱりけっこうさっぱりして素っ気なく、メールの返事は少なく、便りがないのは元気な証拠を地でいっていた娘が里帰りしてきて、いろいろ頼ってくれるっていうことに対する嬉しさがあるのもわかる。いろんなことを話して、日々のなかに面白おかしさを見出し、笑って子育て孫育てしたいだけなんだわかる。わかるけど、こっちは必死だ。そして、特に0歳児の赤ちゃんの授乳や離乳食は、そこがうまくいかないと何もかもダメってくらいセンシティブだ。できるだけ触れないで欲しい。私のわがままなのかもしれないけれど・・・

 

 私はやっぱり母乳なんかさっぱりやめておけば、こういうもやもやなく、快適な精神状態で子育てできてたのかなって思う。鬱だ〜とかなんだとかそういうんじゃない。ただ、もやっとしていて、今特にこまってなくても、なんとなく8ヶ月をふりかえると、あぁなんかあの時すごくもやっとしたなっていう瞬間はだいたい母乳だ。ただ、ミルクにしてたらミルクにしてたで母乳おばさんとかに傷ついたのかもしれないからわからない。細かい傷が降り積もってるなぁって今振り返って思っているだけ。

 一つ一つをほらって、こんな傷っていうようなものじゃない。いうなればただのもやっとだ。だから私も、子育てっていう思い出の中で、どうでもいいもやっととして何年かしたら忘れているかもしれない。

 だから、このブログに書いておく。書く行為は記憶を確かにする。

 私が遠い未来に、誰かをこんな風にもやっとさせることがないように。

 母乳ってセンシティブだぞって肝に命じておけって、覚えておけるように。

 あ、母乳だけじゃないね。母乳でつまずいてる時に言われた、「よく寝る子で楽ね!」もそうだわ。勝手に決めつけて「楽な子ね」なんて、絶対に言わないようにしたい。どんな子を育てる時も、育ててる側はみんな必死なんだ。この必死さを薄れて忘れてしまっても、今自分が書いている文は忘れないようにしたい。

はじめまーす

 子供が生まれて8ヶ月超。やっと落ち着いてきた、と言えるだろうか。まだ自己主張も強くなければ、どこにでもいけるわけではない子供と、ようやくゆとりを持って向き合える感じになってきた。ここで、子供が生まれる前から今までの感じたことや考えたことを書いてみたいな、と思った。

 

 ということで、このブログを始めたわけで、これは子育てブログと言ってもいいものになると思われます。子育てをしながら思ったこと、考えたこと。それから読んだ本の話なんかをかいていけたらな、と思います。