おっぱいの呪いってすごい!!

 もうこの気持ちだけは書き残しておきたい。

 私、母乳かミルクかとかそういうのどっちでもいいじゃんって思ってたし、自分の母乳が出ても出なくてもどうでもいいと思っていたし、今でもミルクで育とうが母乳で育とうがどっちでもいいと思っているのに、なのに、結局母乳育児を軌道に乗せるのにものすっごく苦労して、なんというか、あちこちいろんな人に言われた一言一言がけっこうぐっさりと残っている。この母乳、おっぱいに関する呪いってなんなの!って真剣に叫びたい。

 あともう一つ。

 おっぱいから乳を飲むなんていう哺乳類として生まれた以上当たり前のことがめちゃくちゃ下手くそな赤子が実在するぞって、もっと早く教えておいて欲しかった。

 いるよ、赤ちゃんはなにはなくともおっぱいを飲むんじゃないよ。おっぱい飲むのがド下手な赤ちゃんって実在するからね!

 

 子供は2500グラム程度でちょっと小さめに生まれて、新生児のときは、もうとにかくよく寝る子だった。

 哺乳瓶を吸わせても3回ほど口をくちゅくちゅ動かしたら寝ちゃう。かるく頬をつついたり抱き上げたり、いろいろ動かして起こして、また哺乳瓶吸わせてもすぐ寝ちゃう。出産翌日からの授乳訓練って、子供をどう起こすかの訓練だと真剣に思った。

 ただ、産院を退院するころになると、あれ?ちょっとおかしいぞ、って思うようになった。まわりの子たちは、ぐびぐびと哺乳瓶からミルクを飲み干し、親のおっぱいもぐびぐび飲んでいる。対して私は、子供がおっぱいに吸い付いても、3口ぐらいで寝てしまうのに、必死で呼びかけている。授乳室に入れ替わり立ち替わりくるお母さんたちが、授乳を終えて行ってしまうのをみつつ、おっぱいも吸わないが、哺乳瓶もなかなかすすまない子に必死でもうちょっとだよ、あとちょっとだから起きててね、と呼びかける。がんばれがんばれって。

 まぁ、おかしいぞってほどじゃないけど、なんか思ってたのと違うな、って思った。

 

 うちの子は、いや、もう、本当によく寝た。

 赤ちゃんって寝ないものだと思っていた。寝ない子の話はよく聞いた。構えてもいた。1時間もまとまって寝ないとかザラだって。がんばるぞって思ってた。うちの子もベッドに置くと起きちゃうっていうのはずっとそうだったけど、抱き上げたら1分で寝てた。のび太君かってくらい寝てた。そして、寝たら起きなかった。授乳は泣いたらでいいよ、でも4時間は空けないように、って産院で指導されてた。でも、起きて泣いたことなんかほとんどなくて、いつも4時間のアラームで私が起きて、よく寝てるのに起こすのかわいそうだな、って思いながら起こして授乳してた。

 

 まぁ、眠りがちなのはいいんだけど、とにかく授乳の5分間さえ起きてない。

 しかも吸うのがド下手くそで、60CCとかを哺乳瓶から飲むのに20分じゃ終わらない。本当に下手!ちゅうちゅういくら吸っても哺乳瓶の中のミルクが減っていかないのを眺めながら、あまりにも変化がなくて寝ちゃうくらい下手だった。

 お前、野生に生まれなくてよかったね、って本気で思った。もし動物で一度に何匹も一緒に生まれるような子たちの一匹になってたら、きっと飢えて死んでる子だったよ。現代の人間の子に生まれてよかったね、って本気で思った。すーって哺乳瓶くわえたまま寝ちゃう顔見ながら、君の生存本能はいずこに?って思ってた。輪廻転生があるんだとすれば、うちの子たぶん哺乳類に生まれたの初めてなんだと思う。

 

 まぁそういう状況だったので、直母で飲むなんて夢のまた夢。搾乳で絞ったやつを毎回あげてました。まいかい、おっぱいを吸わせる。ちゅうちゅうするが、体重を測ると2gとか3gしか増えてない。マジで1ヶ月くらい一桁しか増えなかった。絞っておいた搾乳かミルクに切り替えて20〜25分ぐらいかけて所定量をなんとか飲む。次に向けて搾乳するっていうのを、結局2ヶ月続けることになりました。

 

 本当は母乳諦めたかった。だって、授乳した後の搾乳って本当にしんどい。子供は置くと起きて泣くことが多い。抱っこしたまま一緒に寝れれば睡眠時間も取れるけど、搾乳して、それを冷蔵庫にしまってって作業、結構面倒臭い。免疫が移るとかいう初乳はなんとかあげたし、もういいかなって本当は思った。

 搾乳器っていう洗い物も増える。搾乳機なんかいくつも買えないから、結構こまめに洗わないといけない。哺乳瓶なら3回分くらいまとめて洗ってもいいけど、搾乳機だとそうはいかない。もう面倒臭い。しかも、搾乳するたびに、なんで直接飲んでくれないかなぁ、とかもう諦めて毎回ミルクにしたら楽なのにって思いながらやるのがまたしんどい。赤ちゃん、母乳、飲まないとかで毎晩検索してるのしんどかった。

 

 それでも結局2ヶ月かけて母乳育児にしたのは、なんかもう、選べなかったのだ。

 

 一番の理由は母だ。里帰り出産をしており、子供の世話以外は全てやってもらっていた母の言葉は色々と効いた。別に、責められたりとか、何か色々と言われたわけではない。

 「いいおっぱいが出るように、栄養色々考えて作るからね」

 この言葉をほぼ毎日のように言っていただけだ。バリエーションは色々あった。

 「おっぱい美味しかった?おばあちゃんがママにいいもの食べさせてるからね」

 とかそういう感じで。ただ、なんというか、母乳で育てるのがあたりまえっていう圧を感じた。圧というのも変だ。ただあたりまえだった。母の中にほかの選択肢がなかった。他の選択肢を私が考えている可能性もなかった。ミルクは母乳の補助。母乳が少なければミルクを足す。でも母乳をゼロにすることはあり得ない。そういうのが絶対的な前提にあった。

 調子はどうか、ちゃんと出ているかと、しょっちゅう聞かれた。一緒に住んでいるわけだし、子供の状態を把握するための情報共有の一環なのはわかるが、わかるだけにしんどい。直母を飲まないことについても、実は飲んでるんじゃないか、搾乳ができるならおっぱいを吸えないってことはないんじゃないかって、いらないと言っていたグラム単位で測れる体重計を買ったのも母。毎日、今日はどのくらい飲んだの?って聞かれるから、毎日測った。結局、これってストレスだなって思って測るのをやめた。軌道にのる2週間くらい前に。

 

 もう一つ、母乳をやめなかった理由の一つが乳腺炎だ。

 なかなか授乳がうまくいかなくて、産院の授乳指導に通っていたが、助産師さんが、母乳の出は十分だと思うと言っていた通り、母乳は一応出ていた。むしろ、子供が飲まないので胸は張りっぱなしですごく痛かった。子供が新生児の頃、胸は常に張って痛んでいて、搾乳するとスッキリするというのはあった。搾乳が面倒でも私にもこういうメリットがあったから続いたというのはある。やめるぞってなると、この胸が爆発しそうなこの感じにしばらく耐えないといけないのか、と思うと搾乳をやめる勇気がなかった。

 陣痛・出産と痛いことが続いて、ついで胸が張ってむちゃくちゃ痛んで、もう痛いのは十分です、もうやめて〜!!って気分。これ以上痛いのは勘弁って感じだった。面倒だけし、だるいけど、痛くはない。むしろ、搾乳すると痛いのがなくなる。そう思うとミルクにする決心がつかなかった。

 

 そんなこんなで搾乳に、眠さが限界だった時だけミルクにして、1ヶ月色々やって見たが、1ヶ月検診で、体重の増加が少ないと不合格に。

 10日後、個別の検査の予約が取れず、母乳教室で体重を計ることになった。

 その時、退院して1週間くらいのお母さんたちと一緒になった。直母で片方だけで60グラムとか体重が増えているのを聞きながら、ほら、起きて起きて、頑張ってっていつもながらの掛け声をかけながら必死で飲ませて、両乳で35グラム。新記録!ってところだけど、なんかもう泣きたくなった。いや別に直接母乳で飲めないからなんだって感じだし、体重はその時はちゃんとクリアしたから、全然なんの問題もないはずなんだけど、なんかもう泣きたくなった。誰かに何か言われたわけでもない。助産師さんは体重を測って、あら少し飲めるようになったわね、と言っただけ。私が勝手に、同じ教室のお母さんたちの結果を聞いてしまっただけ。それなのに、なんかもうすごく悲しくなってしまった。

 

 まだ8ヶ月の育児の中で、一番なんともいえない気分になった。いつも通りすかーって平和な顔をして、おっぱいくわえながら完全に寝落ちした子供の頬をつねりたくなった。(ちなみに、その時よほど眠かったのか、体重計に乗せても起きなかった)

 

 でも、なんだかその時にもうどうでもいいやって思って、その後から授乳後に体重計るのとか全部やめて、朝の体重増加のチェックだけに切り替えて、そのほか、色々言われて、細かく守っていた授乳時間とか、授乳間隔とかをいーかげんにした。体重だけ増えてればもうどうでもいいやって。

 そしたら、それから2週間くらいで直接母乳で100グラム以上飲むようになった。まぁ、成長のそういうタイミングだったのかもしれない。2ヶ月のタイミングで搾乳をやめて母乳とミルクにして、結局は生後3ヶ月くらいで完全母乳に切り替わった。

 こんなに苦労するなら、本当にミルクで育てたかったって最中はずっと思ってたし、今母乳で楽だなって思うこともあるけどやっぱり、もう最初からミルクにできてればあの時のなんかすごい惨めな気持ち、味わわなくてすんだのになって思ってる。

 

 だって母乳育児ってなんか、声を大にして泣きわめくほどじゃないけど、ちくんって刺されて、喉に刺さった小骨みたいに、事あるごとに違和感というか小さな痛みを感じる機会がすっごく、すっごくすっごく多いと思う。

 

 たとえばさ、母乳にしてると、ちょっと体重の増加が少ないと、母乳の量が少ないんじゃないか、体重が大きく増えたり、吐き戻しが多かったりすると、母乳あげすぎなんじゃない?ってすごーく気軽に夫や両親から言われる。うるさいわ!知るか。飲みたいだけ飲んでんだ、どんだけ飲んだかなんて私だってしらんわ。どんだけ飲んでるのか、それで足りてるのか足りてないのか、わからんから不安なのはこっちも一緒だ。むしろ責任があると思ってる分だけ真剣に考えて色々やってんの。今日はいい天気だね、くらいのノリで話してんのわかるけど、結構センシティブなの。それ全部、私が悪いって聞こえてるの。そんなつもりがないことはわかってるけどね!

 

 あと、なんていうのかな。おっぱいの話ってそんなおおっぴらにする?助産師さんには普通の範囲って言われたけど、母は事あるごとに親族・他人に関係なく、「おっぱいをうまく飲めなくて。この子(私)乳首が大きいし、孫は小さく生まれて口が小さいから、うまく飲めないのよ」って言ってた。人の胸の事情なんか、そうぽろぽろ話すか?これ乳がでる蛇口じゃなくて、私の胸何ですけど?この蛇口ちょっと飲みにくいわねみたいなテンションで人と話す?どういう感覚なの、それ?

 それ横で聞いてても、なんていうかハハっていう乾いた笑いしか出てこないよね。なんか妙に傷ついた。傷つくのおかしいんじゃないかって思うくらい、普通に話してるし、聞いてる方も普通に聞いてるし、どうなん?

 

 これは私の個人的な事情だと思うけど、子供が飲むのがあまりにも下手なので、今でも授乳しながら、軽く搾乳というか、自分の手で絞り出してあげてる。ぎゅーって押さないと、くわえさせててもなかなか乳が出て言ってない感じがある。指でおっぱいしごいて、子供が吸うのを補助してる感じ。

 うちの母いわく、私はよく飲む子でぐびぐび飲んだらしい。だからそんなことしようと思ったこともなかったみたいだ。

 子供が吐き戻すたびに、あんなフォアグラみたいに無理に飲ませてるからよっていう。夫も、ぎゅーって絞ってまで飲ませるからじゃない?って。試しに絞らないでやってみたら、5ヶ月の200以上飲んでる時で、半分くらいしか自力で飲めてなかった。ほーらって思ったけど、そこで勝ち誇っても仕方がないから、黙々と今でもぎゅーって補助してる。

 いいですいいです、乳腺炎が怖くてぎゅーぎゅー無理に子供の口に押し込んでるって言ってくれても全然構わないけどね、おっぱいから飲むのがマジで下手な子ってのが存在するなんて信じられないならもう、その常識のまま生きていって構わないけどね、人が一生懸命やってることを笑い話にしないでくれないかな。授乳って赤ちゃん育てる上で一番基礎だからさ、ふざけてやってる母親なんかどこにもいないと思うんだよね。みんな一生懸命。ちょっと普通と違って見えても、その親子にとって一番最適になるように考えてやってると思うんだよ。それ変だよとか外野が気軽に言わないでほしい。

 母とか義母とか見てると、なんの不自由もない子育てだったのか、もうそういうちょっとあれこれ言われても傷ついたそんなことは忘れたのか、なんなんだろうと思う。まぁたぶん忘れたんだろう。

 忘れちゃうくらい、母乳で悩みながら育てるのって当然なんだろうね。もう当然すぎて、もしかしたら悩んでたのも当然の中に入って、子供に母乳をあげた綺麗な思い出の中に一緒にラッピングされてるのかも。

 

 母は普段そこまで無神経な人ではないし、子供の心を大事に育ててくれたし、今でも仲がいい。だから、このことで喧嘩もしてないし、そもそもなんの悪気もない。里帰りしてきて、大学入学で家を出てから年に1〜2日くらいしか帰らなかった娘が何ヶ月もいることに舞い上がって、一緒に孫を育てている気持ちになった初孫フィーバーに沸くよくあるおばあちゃんだ。初孫フィーバーの中には、やっぱりけっこうさっぱりして素っ気なく、メールの返事は少なく、便りがないのは元気な証拠を地でいっていた娘が里帰りしてきて、いろいろ頼ってくれるっていうことに対する嬉しさがあるのもわかる。いろんなことを話して、日々のなかに面白おかしさを見出し、笑って子育て孫育てしたいだけなんだわかる。わかるけど、こっちは必死だ。そして、特に0歳児の赤ちゃんの授乳や離乳食は、そこがうまくいかないと何もかもダメってくらいセンシティブだ。できるだけ触れないで欲しい。私のわがままなのかもしれないけれど・・・

 

 私はやっぱり母乳なんかさっぱりやめておけば、こういうもやもやなく、快適な精神状態で子育てできてたのかなって思う。鬱だ〜とかなんだとかそういうんじゃない。ただ、もやっとしていて、今特にこまってなくても、なんとなく8ヶ月をふりかえると、あぁなんかあの時すごくもやっとしたなっていう瞬間はだいたい母乳だ。ただ、ミルクにしてたらミルクにしてたで母乳おばさんとかに傷ついたのかもしれないからわからない。細かい傷が降り積もってるなぁって今振り返って思っているだけ。

 一つ一つをほらって、こんな傷っていうようなものじゃない。いうなればただのもやっとだ。だから私も、子育てっていう思い出の中で、どうでもいいもやっととして何年かしたら忘れているかもしれない。

 だから、このブログに書いておく。書く行為は記憶を確かにする。

 私が遠い未来に、誰かをこんな風にもやっとさせることがないように。

 母乳ってセンシティブだぞって肝に命じておけって、覚えておけるように。

 あ、母乳だけじゃないね。母乳でつまずいてる時に言われた、「よく寝る子で楽ね!」もそうだわ。勝手に決めつけて「楽な子ね」なんて、絶対に言わないようにしたい。どんな子を育てる時も、育ててる側はみんな必死なんだ。この必死さを薄れて忘れてしまっても、今自分が書いている文は忘れないようにしたい。