ヒトラーとは何か

ハフナー氏のもう一冊。

 

学校もまともに卒業できないアホで、美術学校の受験にも失敗し、画家にも何にもなれないまま無職でふらついていた馬鹿者、それが1918年のヒトラーだ。本書はそういうところから始まる。ちょっと目から鱗が落ちるヒトラーの本。

ナチスとの我が闘争を読んでも感じたけれど、まぁ毛虫のように嫌っているのが端々の表現から伝わってくる。それでも、評価すべきところは評価し、ヒトラーだからダメなのではなく、ヒトラーがやろうが、他の誰かがやろうが、いいものはいいし、ダメなものはダメというための本というのが面白い。

ハフナー氏の強みは、39年に一度亡命していることだろう。戦争が始まる直前まで、つまりヒトラーが600万人の失業者の全てに職をあてがい、奇跡的な経済復興を成し遂げていた、その時期をドイツ国内でみつめ、ユダヤ人への迫害などには目をつむりたくなってしまった人たちとの空気を味わって、その空気に確かにそれはそうなんだけどとうまく反論できない気持ちも味わい、やはりヒトラーはおかしいと逃げ出した。ヒトラーに魅力があったことを認めても、最終的にノーを言った自分のことは落とさないで済む。だから、ヒトラーが魅力的に見えたということが言えるのだ。

 

面白かったのは、ヒトラーは一代限りで思い描いた政策(?)を全てやろうとした、ということ。そして、国家を作らなかったということ。一代限りで、自分が死んだらあとのことはどうでもいい、自分が全てを決めるから、制度なんていらない。そういう、為政者のメンタルとはまったく違うメンタルを持っている人間だという説明はなんとなく腑に落ちた。

戦争は、講和を結んで終えるものだと言うことを理解していなかった、というのは確かにハッとさせられる。戦争は征服のためではなく、最終的に講和を結び、平和を手に入れるためのものだ、というのは、すこし綺麗に説明しすぎな気もするが、まぁ古今の多くの戦争は確かに、相手の絶滅を目指したものは少ないよなと思う。あの対戦中、フランスともポーランドとも、他のどこの国とも一時的な講和すら結ばずに突き進んでいたというのは驚きだ。

ヒトラーを理解はまったくできないし、この本を読んだら読んだで、本気でこんな思考をする人間がいるんだろうか、と思ってしまうけれど、なんというか読み物としてすごく面白かった。

 

もうひとつ。ニュルンベルグ裁判への批判は、日本人にも刺さるかもしれない。

戦争犯罪なんていう、曖昧な定義の罪を作って裁判をやってしまったから、戦争が、勝てば負けた側を勝った側の好きな理論で裁けるものになってしまった、としている。それまでは相手をそれなりに尊重し、講和を結ぶべきものだったのに、と。

まあ戦争の定義は置いておいて、確かに、平和に対する罪なんていう、主観でどうとでもなってしまう罪をつくって、勝った側が負けた側を裁いたという前例は、その後の世界の警察だのなんだの、ちょっとバランスの悪い国際社会の始まりになってしまったように思う。あの時、裁かれるべきは本当はなんだったのか、日本の戦犯に関しても、どの罪はヒトラーや日本に固有のもので、どの罪は多かれ少なかれどんな軍隊にもあり、どこまでが交戦権という国の権利の行使で、何が平和に対する罪なのか、真面目に考える人がいなかったのか。その辺りは、タブーにせずにもう一度考え直してもいいようにおもう。